播磨塾は、なぜ先生も「分からない」と言うのか。――教えることに責任を持つということ
■ 先生だから、何でも即答できるわけではない
授業をしていると、生徒からいろいろな質問が出ます。
教科書や問題集に載っていることだけとは限りません。
「先生、これはどういう意味ですか?」
「この場合はどうなるんですか?」
「さっきの説明と、ここは何が違うんですか?」
こちらが予想していなかったところから、質問が出ることもあります。
もちろん、その場で答えられることがほとんどです。
でも、ときには確認しなければ、正確には答えられないこともあります。
そんなとき、播磨塾では発足した頃から大切にしていることがあります。
分からないことを、分かったように答えない。
まずは、そこからです。
■ 「先生なのに分からない」は、格好が悪いのか
教える立場にいると、
「分かりません」
とは言いにくいものです。
先生なのだから、知っていて当然。
質問されたら、その場で答えなければならない。
そんな気持ちがどこかにあります。
だから、少し曖昧な記憶でも答えてしまう。
たぶんこうだったはず、と説明してしまう。
でも、その説明を聞く生徒にとっては、それが「先生から教わったこと」になります。
もし間違っていれば、生徒はその間違いまで覚えてしまうかもしれません。
それなら、
「ここは一度確認させて」
と言った方がいい。
調べて、きちんと答える。
教える側の体裁より、その方がずっと大切です。
■ 何でも知っているように見えることより
先生にも、知らないことはあります。
忘れていることもあります。
勘違いしていることだってあります。
大切なのは、それを隠すことではありません。
分からなければ調べる。
曖昧なら確認する。
間違っていたら訂正する。
生徒にとって必要なのは、
「何でも知っているように見える先生」
ではなく、
「教えることに責任を持つ先生」
ではないでしょうか。
■ 生徒にとっても、「分からない」と言えることは大切
これは先生だけの話ではありません。
授業中、
「分かった?」
と聞くと、
「分かりました」
と答える生徒がいます。
でも、もう一度説明してもらうと、実はまだよく分かっていないことがあります。
分からないと言うのは、意外と難しいものです。
周りは分かっているように見える。
自分だけ質問するのが恥ずかしい。
こんなことを聞いたら、できないと思われるかもしれない。
そう考えてしまうこともあるでしょう。
でも、勉強では、
「分からない」
と言えることは、とても大切です。
分からないことが分かれば、そこから勉強を始められるからです。
■ 「分からない」を曖昧にしない
以前の記事で、播磨塾では正解した生徒にも、
「なぜ?」
と聞くことがあると書きました。
答えが合っていても、本当に理解しているとは限らないからです。
それと同じように、
「分かりました」
という言葉だけで、授業を先へ進めないことがあります。
説明してもらう。
別の問題を解いてもらう。
条件を少し変えて聞いてみる。
そうすると、
「ここまでは分かっている」
「ここから先が分からない」
という境目が見えてきます。
先生が分からないことを曖昧にしない。
生徒の分からないことも曖昧にしない。
根っこにある考え方は、同じです。
■ 教えるということには、責任がある
生徒は、先生の話を信じて聞いています。
とくに受験勉強では、
「先生がそう言ったから」
と、そのまま覚えることもあります。
だから、こちらが何かを伝える以上、その内容には責任を持たなければならないと思っています。
これは、特別なことではありません。
人に何かを教える仕事なら、当たり前のことなのかもしれません。
ただ、その当たり前を曖昧にしないことは、これからも大切にしたいと思っています。
分からないなら、分からないと言う。
必要なら調べる。
そして、きちんと答える。
生徒に何かを伝える以上、その内容に責任を持つ。
播磨塾が、発足した頃から大切にしてきたことです。




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