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播磨塾は、なぜ先生も「分からない」と言うのか。――教えることに責任を持つということ

20 時間前
読了時間: 4分

■ 先生だから、何でも即答できるわけではない


授業をしていると、生徒からいろいろな質問が出ます。


教科書や問題集に載っていることだけとは限りません。


「先生、これはどういう意味ですか?」


「この場合はどうなるんですか?」


「さっきの説明と、ここは何が違うんですか?」


こちらが予想していなかったところから、質問が出ることもあります。


もちろん、その場で答えられることがほとんどです。


でも、ときには確認しなければ、正確には答えられないこともあります。


そんなとき、播磨塾では発足した頃から大切にしていることがあります。


分からないことを、分かったように答えない。


まずは、そこからです。



■ 「先生なのに分からない」は、格好が悪いのか


教える立場にいると、


「分かりません」


とは言いにくいものです。


先生なのだから、知っていて当然。


質問されたら、その場で答えなければならない。


そんな気持ちがどこかにあります。


だから、少し曖昧な記憶でも答えてしまう。


たぶんこうだったはず、と説明してしまう。


でも、その説明を聞く生徒にとっては、それが「先生から教わったこと」になります。


もし間違っていれば、生徒はその間違いまで覚えてしまうかもしれません。


それなら、


「ここは一度確認させて」


と言った方がいい。


調べて、きちんと答える。


教える側の体裁より、その方がずっと大切です。



■ 何でも知っているように見えることより


先生にも、知らないことはあります。


忘れていることもあります。


勘違いしていることだってあります。


大切なのは、それを隠すことではありません。


分からなければ調べる。


曖昧なら確認する。


間違っていたら訂正する。


生徒にとって必要なのは、


「何でも知っているように見える先生」


ではなく、


「教えることに責任を持つ先生」


ではないでしょうか。



■ 生徒にとっても、「分からない」と言えることは大切


これは先生だけの話ではありません。


授業中、


「分かった?」


と聞くと、


「分かりました」


と答える生徒がいます。


でも、もう一度説明してもらうと、実はまだよく分かっていないことがあります。


分からないと言うのは、意外と難しいものです。


周りは分かっているように見える。


自分だけ質問するのが恥ずかしい。


こんなことを聞いたら、できないと思われるかもしれない。


そう考えてしまうこともあるでしょう。


でも、勉強では、


「分からない」


と言えることは、とても大切です。


分からないことが分かれば、そこから勉強を始められるからです。



■ 「分からない」を曖昧にしない


以前の記事で、播磨塾では正解した生徒にも、


「なぜ?」


と聞くことがあると書きました。


答えが合っていても、本当に理解しているとは限らないからです。


それと同じように、


「分かりました」


という言葉だけで、授業を先へ進めないことがあります。


説明してもらう。


別の問題を解いてもらう。


条件を少し変えて聞いてみる。


そうすると、


「ここまでは分かっている」


「ここから先が分からない」


という境目が見えてきます。


先生が分からないことを曖昧にしない。


生徒の分からないことも曖昧にしない。


根っこにある考え方は、同じです。



■ 教えるということには、責任がある


生徒は、先生の話を信じて聞いています。


とくに受験勉強では、


「先生がそう言ったから」


と、そのまま覚えることもあります。


だから、こちらが何かを伝える以上、その内容には責任を持たなければならないと思っています。


これは、特別なことではありません。


人に何かを教える仕事なら、当たり前のことなのかもしれません。


ただ、その当たり前を曖昧にしないことは、これからも大切にしたいと思っています。


分からないなら、分からないと言う。


必要なら調べる。


そして、きちんと答える。


生徒に何かを伝える以上、その内容に責任を持つ。


播磨塾が、発足した頃から大切にしてきたことです。


 
 
 

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