播磨塾は、なぜ「勉強しなさい」だけでは変わらないと考えるのか。
■ 「勉強しなさい」で勉強できるなら
「家では、なかなか勉強しません」
保護者の方から、よく聞く言葉です。
スマートフォンを見ている。
机に向かっても、すぐに集中が切れる。
テスト前になって、ようやく慌てて始める。
本人も、勉強しなければならないことは分かっています。
それでも、なかなか動けない。
そこで、
「もっと勉強しなさい」
と言いたくなる気持ちも、よく分かります。
でも、それだけで勉強できるようになるなら、おそらく多くの家庭はそれほど困っていません。
■ 自分で進める生徒は、自分を管理している
長く生徒を見ていると、学力の高い生徒には一つの傾向があります。
ただ長時間勉強しているだけではありません。
自分を管理する力があります。
今日は何をするのか。
今週どこまで進めるのか。
いつ休むのか。
どのくらい睡眠を取るのか。
運動する時間まで含めて、自分の生活を組み立てている生徒もいます。
難関大学や医学部を目指す生徒になると、その自己管理の精度に驚かされることがあります。
眠くて集中できない状態なら、無理に授業を受けるより、今日は休んだ方がいいと自分で判断する。
そして、その分を別のところできちんと取り戻す。
勉強することだけではなく、
「自分をどう動かすか」
まで考えているのです。
受験勉強では、この力がとても大きいと感じます。
■ でも、最初からできる生徒ばかりではない
一方で、
「今日は何をしたらいいですか?」
というところから始まる生徒もいます。
何から始めるのか。
どの教科を優先するのか。
どこまでやるのか。
自分では、まだうまく決められない。
だからといって、
「自分で考えなさい」
と言って終わりにはしません。
最初は、一緒に決めます。
勉強する順番を考える。
今日やることを整理する。
必要なら、自習へ出てくるように声をかける。
そうやって、まずは勉強が動き始めるところまで支えます。
ただし、ずっと先生が決め続けるわけではありません。
最初は一緒に決める。
少しずつ、自分で決める。
そして、やがて自分で勉強を動かせるようになる。
そこまでが大切だと考えています。
■ 原因の9割が生徒側にあったとしても
勉強してこない。
決めたことをやらない。
スマートフォンを触ってしまう。
同じことを何度言っても直らない。
そういうことは、実際にあります。
その原因の9割が、生徒本人にあるように見えることだってあります。
でも、そこで、
「本人にやる気がないから仕方がない」
と終わってしまえば、教える側は何も考えなくて済みます。
私たちは、残っている1割を考えたいと思っています。
こちらの伝え方を変えられないか。
課題の出し方を変えられないか。
勉強する順番を変えた方がいいのではないか。
声をかけるタイミングはどうか。
自習へ出てきやすい状況をつくれないか。
もちろん、最後に勉強するのは本人です。
本人にしか変えられない部分もあります。
それでも、
「こちら側にできることは、本当にもうないのか」
と考える。
教える仕事をしている以上、その1割を考えることはやめたくありません。
■ スマートフォンを預かれば、それでいいのか
今の高校生にとって、スマートフォンは勉強を妨げる大きな要因の一つです。
少し見るつもりが、長い時間触ってしまう。
通知が来るたびに集中が切れる。
だから、塾でスマートフォンを預かってしまえば、その時間は使えなくなります。
一つの方法だと思います。
ただ、播磨塾では一律に預かることはしていません。
管理すれば、その場では勉強させることができます。
でも、
「使えないから勉強した」
ことと、
「自分で使わないと決めて勉強した」
ことは、同じではありません。
塾を出れば、自分でスマートフォンと付き合わなければなりません。
大学へ進めば、誰かが毎日管理してくれるわけでもありません。
だから、必要な声かけはしながらも、
「今は勉強する時間だから、勉強する」
と自分で切り替えられるようになってほしいと思っています。
■ 管理すればするほどいい、とは考えていない
先生がすべてを決めれば、生徒は動きやすくなります。
短期的には、その方が勉強時間を確保できることもあるでしょう。
でも、それを続けていると、
「言われなければ動けない」
状態が残ってしまうことがあります。
播磨塾が目指しているのは、生徒を上手に管理することではありません。
必要な時期には支える。
一緒に考える。
そして、少しずつ手を離していく。
その距離の取り方は、生徒によって違います。
だからこそ、一人ひとりを見ながら関わり方を変えていく必要があります。
■ いつか、言われなくても動けるように
第3回の記事で、
「自分のエンジンで進む」
ということを書きました。
でも、最初から自分でエンジンをかけられる生徒ばかりではありません。
最初は誰かに声をかけてもらう。
何をするのか、一緒に考えてもらう。
勉強する場所へ出てくるよう促してもらう。
それでいいと思っています。
大切なのは、そこから少しずつ変わっていくことです。
昨日まで言われなければ来なかった生徒が、自分から自習に来る。
先生に決めてもらっていた勉強を、自分で考えるようになる。
「何をしたらいいですか?」
と聞いていた生徒が、
「今日はこれをやります」
と言うようになる。
そういう変化は、点数にはすぐ表れないかもしれません。
でも、受験勉強を続けていくうえでは、とても大きな変化です。
■ 「勉強しなさい」の、その先へ
勉強しない生徒に、
「勉強しなさい」
と言うこと自体が間違っているわけではありません。
必要なときには、言わなければならないこともあります。
ただ、その言葉だけで終わらない。
なぜ動けないのか。
こちらに変えられることはないか。
どこまで支えて、どこから本人に任せるのか。
そこまで考えることが、教える側の仕事だと思っています。
最初は誰かに背中を押されていてもいい。
でも、いつまでも押され続けなければ進めないのではなく、少しずつ自分で進めるようになる。
「勉強しなさい」と言い続けることより、
いつか、その言葉がなくても勉強できるようになること。
播磨塾が目指しているのは、そこです。




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