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勉強は競争なのか、成長なのか

人と比べる勉強は、本当に意味があるのか 塾をしていると、よくこんな言葉を耳にします。 「○○君は頭が良いから」 「うちの子は才能がないので」 「同じクラスのあの子は模試で○位だった」 そして生徒自身も、無意識のうちに誰かと自分を比べています。 しかし、播磨塾の考えは少し違います。 勉強において、人と比べることはほとんど意味がありません。 もちろん、結果として順位や偏差値は出ます。 入試という仕組み上、他人との比較が全くなくなることもありません。 それでも、日々の勉強において大切なのは「他人との比較」ではなく、「昨日の自分との比較」だと考えています。 なぜなら、人はそれぞれスタート地点が違うからです。 小さい頃から本を読む習慣があった人。 家庭でたくさん会話をしてきた人。 習い事を続けてきた人。 勉強が苦手でもスポーツに打ち込んできた人。 同じ高校生でも、その背景はまったく違います。 100メートル走ならスタートラインを揃えられますが、勉強はそうではありません。 だから、 「自分はあの人より頭が悪い」 という考え方自体が、そもそも公平な比較になっていないのです。 さらに言えば、「頭の良さ」という言葉ほど曖昧なものはありません。 計算が速い人もいます。 文章を読むのが得意な人もいます。 記憶力が高い人もいます。 人の気持ちを理解するのが上手な人もいます。 どれも立派な能力です。 ところが学校のテストだけを見ていると、あたかも一つの尺度で人間の価値が決まるような錯覚に陥ります。 しかし社会に出れば、能力はもっと多様です。 学生時代に成績が良かった人が必ず成功するわけではありませんし、逆もまた同じです。 では才能は関係ないのでしょうか。 正直に言えば、あります。 野球に才能がある人がいるように、勉強にも才能があります。 一度聞いただけで理解できる人もいますし、記憶力が抜群の人もいます。 これは事実です。 ただし、ここで重要なのは、 才能があるかどうかと、目標を達成できるかどうかは別の話だということです。 大学受験を長く見ていると、才能だけで走り切れる生徒はほとんどいません。 むしろ最後に結果を出すのは、 ・地道に続けられる人 ・素直にアドバイスを聞ける人 ・失敗しても立ち上がれる人 だったりします。 これらは才能というより、習慣や考え方に近いものです。 そして習慣や考え方は、後から身につけることができます。 だから播磨塾では、 「誰かに勝とう」 とはあまり言いません。 その代わり、 「先月の自分より成長しよう」 「前回できなかった問題をできるようにしよう」 「去年の自分なら解けなかった問題に挑戦しよう」 と考えます。 入試本番で必要なのは、クラスで一番になることではありません。 志望校に合格できるだけの力を身につけることです。 他人と比べ続けると、自信を失うか、あるいは必要以上に慢心するかのどちらかになりがちです。 しかし昨日の自分と比べる限り、成長は必ず見つかります。 勉強とは、本来そういうものではないでしょうか。 誰かになるために学ぶのではなく、 自分自身の可能性を広げるために学ぶ。 播磨塾は、そう考えています。



 
 
 

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