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ラ抜き言葉とは(文法)

 いきなりではありますが、中学の文法の説明をします。・・・「見られる」・・・  ・・・「来られる」・・・の 「ら」 を取って、・・・「見れる」・・・ 「来れる」・・・と表現することを、ラ抜き言葉と言います。


 ・・・見られる・・・という文節は、見(マ行上一段動詞の未然形) られる(自発・可能・受け身・尊敬の何れかの意味を持つ助動詞)と言う解説(品詞分解)になります。同じく・・・来られる・・・という文節は、来(カ行変格動詞の未然形) られる(自発・可能・尊敬)の何れかの意味を持つ助動詞)ということになります。


  現在、これらの表現は、・・・られる・・・という助動詞の一部である 「ら」 の字を取ってしまうので、行儀が悪い、稚拙だということになり、正しい日本語ではない!ということになっています。


 しかし、 


 違った観点から見てみましょう。


 動詞の仲間に、可能動詞というグループがあります。・・・「読む」・・という動詞を・・・「読める」・・・と変形させ、可能の意味を与えるのですが、これには、縛りがありまして、可能動詞に変形できるのは、上記の・・・「読む」・・・のように、五段活用動詞だけなのです。


 五段活用動詞についての説明は省きます。可能動詞の定義について申し上げると・・・五段活用動詞を下一段活用動詞に変形し、可能の意味を与えたもの。命令形は無し。・・・ということになります。


 以上が、ラ抜き言葉と可能動詞の説明になるのですが、上記の説明で皆さんは納得できるでしょうか。学校での説明はここまでです。


 ところが、


 「見れる」・・・前述したラ抜き言葉ですが、まず、普通に皆さん会話では、使っておられるものと推測致します。つまり、言葉として広く流通しているわけです。更に、この流通、最近のものではありません。例えば、おばあちゃんが、お孫さんに対して・・・きのう、よう寝れたか?・・・なんてことは、普通に言っておられるものと思われます。年配の人も使っておられる訳です。


 更に、理屈を捏ねます、可能動詞の定義である、下一段動詞で命令形無し、という定義にも当てはまっています。活用も承認されている可能動詞(五段動詞の変形したもの)と同じものになります。


 纏めると・・・ラ抜き言葉は、可能動詞と認めることは、できないのか?下一段動詞で命令形無しという定義にも適っているし、何よりも、もう既に普及してしまっていると申し上げたいのです。

  ラ抜き言葉は、学問的に間違っていると言えるでしょうか。



 
 
 

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